8:沖縄製パン事業協同組合の発行している「パンだより」(75号)のエッセーから (2008.10)


 今まで釣りということをしたことがなかったが、糸満に来てから釣り糸を垂らすようになった。
せっかくうみんちゅの町に越してきたのだからと、手頃な竿を一本買い四十の手習いを始めた。
 昨年の春に妻が助産師の職を沖縄に得て、本土から越してきた。看護師をしていた妻は、結婚を機に、助産の仕事をしたいと大学院に入り、そして卒業と同時に勤めたのがこの町にある産科医院だった。
 東京でのマンション暮らしを離れ、高台にある古い集落の空き家を借りて暮らすことになった。家の近くにはきび畑が広がり、遠くの大きな水タンクまでも見渡せるようなところだ。借家の庭はよく手入れが行き届き、黒木と松とブーゲンビリアが調和し、石垣の隙間には種々のランが植えてあった。ほかにもドラゴンフルーツ・さんだんか・月下美人・島唐辛子・ライチ・グアバ・台湾梨・シークァーサーなどおいしいものから美しいものまで、狭い庭の中でよくもまあ植えてあるものだと思う。
 ある休みの日に、縁側でゆっくりとビールを飲みながら妻と庭を眺めていた。フーチバーにじっと目をやっていた妻が、ふと、 「どうにかならないかしら」とつぶやいた。西側の石垣の上にぎっしりと生えているフーチバーには植物性のカルシウムが多く、これは骨をしなやかな強さにするから、特に女性の体には必須の栄養素があるのだという。  そんなことも忘れていたのだが、隣のねーねーからお裾分けだといって天然酵母の手作りパンをいただいた。しっかりした焼き上がりの香りと独特の酸味が口の中に広がる。
そういえば、東京にいた頃は僕も時々パンを焼いたのだ。いつぞや妻が気にしていたフーチバーを練り込んでパンを焼くのもいいかもしれないと思いたった。
 大きなざるいっぱいにフーチバーを摘んで、それをざくざくっと刻んで、ミキサーに入れ、水を少し足してどろどろ状に。あとはそれを使って小麦粉を適当な硬さに溶く。フーチバーの苦みを緩和するのに砂糖を少し多めに入れる。あとはネタを食パンの型に落として焼く。オーブン付きの小さなレンジで焼くのでちょっと時間がかかるがそれもご愛敬。  焼き上がったパンは、少し薄めにスライスして、トースターできつね色の焦げめがつくくらいにあぶるとフーチバーの香ばしさがさらに増す。
 堤防の先にたたずみながら、懲りずに針先にえさを通す。新米なので釣り糸を放り投げたらあとは暇が多い。堤防においた竿の穂先を何となく視界に入れながら足を伸ばして空をあおぐ。時にはそろそろカラシナの種を蒔こうかなどと考えたり、時には山形の田舎の年老いた母のことを想ったり。
 そうこうすれば時もたち、出がけにあぶってバターを少し塗ってきたフーチバーパンを取り出し、庭摘みのミントとローズマリーで作ったお茶をいれる。広い海と大きな空のあいだ。フーチバーと小麦の香りが漂い、そして僕の体にしみこんでゆく。


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